oasis『Whatever』 ノエルが学んだ自由とは

もし「世界の音楽界で一番面白い兄弟は誰か?」というアンケート調査があったら、ギャラガー兄弟がダントツで1位に選ばれるでしょう(笑)

この記事で紹介するのは、
ギャラガー兄弟が作ったバンド『oasis』です。

私にとってオアシスは、本当に好きで好きでたまらないバンド。
好き過ぎてoasisが日本に来た時にコンサートスタッフをしたことがありますし、ライブにも何度か観に行きましたし、自分のバンドで何曲もコピーしましたし…
もちろんアルバムは全て持っています!!!!

残念ながら2009年に解散してしまったのですが、オアシスの曲は今もよく聴いています。

そこで今回は、私が個人的に一番好きな曲であり、一番オアシスらしい歌詞だと思うこの曲、『Whatever』について掘り下げて和訳してみたいと思います。

oasis『Whatever』

いやぁ~、いい曲!!!! 名曲!!!!
完璧ですっ!!!!

日本ではソニーのCM曲など様々なメディアで使われているので、オアシスを知らない人でも「ああ、聴いたことある!!」という人も多いのではないでしょうか。

『Whatever』は、ライブではノエルがギターの弾き語りで歌うことも多いです。

中心メンバーなんと言ってもこの2人
眉毛の太いギャラガー兄弟。

ノエル・ギャラガー() ギター&たまにボーカル(写真左)
リアム・ギャラガー() メインボーカル(写真右)

オアシスのほとんどの楽曲は、お兄ちゃんのノエルが作詞・作曲をしています。
事実上のバンドのリーダーです。

弟のリアムはロック歌手として声質が最高峰だと評価されていて、ジョン・ライドンとジョン・レノンの声を掛け合わせたようだと絶賛されています。

この2人、写真の見た目は普通の人ですが、実はとてもヤンチャです(笑)

お兄ちゃんのノエルはプロ意識が非常に高いので、仕事に影響を与えるようなことはあまりしないのですが(でも凄く口が悪い)、
弟のリアムの方は生まれながらの暴れん坊です。

ツアー先のホテルで麻薬やって、酒飲んで、部屋の物を窓から全部投げ捨てて、他の部屋に泊まっている女の子に手を出しまくるわ、気にいらない奴がいたらすぐに殴っちゃうわで、ツアーで回った世界中の警察のやっかいになってきました。

そんな傍若無人なリアムにノエルがブチ切れて、ライブ中に兄弟喧嘩が始まり、ステージ上での殴り合いに発展するのは、もはやお決まりの出来事。

最近は年を重ねて大人になったので随分落ち着きましたが、ビッグマウスは今も健在。
言うことがデカイデカイ。

そんな2人なので、マスコミが面白がってタブロイド誌の格好の餌食にされちゃうわけですが、
そんな2人の自由過ぎる生き方が私は大好きだし、
彼らの奏でる曲は文句のつけようがないほど完璧です。

そんなメチャクチャな2人はどんな環境で生まれ育ったのか?
ただの不良だった人間たちがどのようにして成功を掴んだのか?

ノエルとリアムの人生を振り返ってから『Whatever』の歌詞の本当の意味を考えてみたいと思います。

1967年5月29日 ノエルがイギリス・マンチェスターで産まれる

家族は、両親と兄が1人いました。
アイルランド系カトリックの、ごく普通の労働者階級の家です。

ノエルは学校に通うようになると、徐々にガラの悪いガキに成長していきました。

勉強が好きなわけでもなく、何か打ち込むものがあったわけでもなかったノエルは、悪い仲間とつるみ、ドラッグに手を出し、学校を自主退学してしまいました。

1972年9月21日 リアムが産まれる

リアムは幼い頃から異常に活発で、大人に手を焼かせる子供でした。
どのくらい手のかかる子供だったかというと、担任の先生はリアムが問題を起こすせいで毎日頭痛薬を飲んでいた程です。

15歳になった頃にはヤンチャに加速がつき、
同じ学校の仲間達とライバル校の生徒達との間で乱闘事件を起こし、退学処分となりました。

ノエルもリアムも、興味のあるものと言ったらサッカーと女だけ。
幼い頃は、音楽に全く関心がありませんでした。

2人は学校を退学した後、
父親の仕事を手伝わされたり、肉体労働の仕事をしたりしていました。

一応仕事はしていたものの、この頃のギャラガー兄弟はフーリガンみたいなものでした
フーリガンは日本のオラついたヤンキーとは違っていて、チェックのシャツを着てGパンをはいてるような、見た目はごく普通の若者ですが、
仲間とたむろしてはドラッグをやり、ケンカを売り、モノを盗み、破壊する、将来性のない生活を送っている若者たちです。

13歳のある日、ノエルは近所の店を襲おうとして捕まり、外出禁止を命じられます。
半年間も家に閉じ込められたノエルは暇だったので、ギターを買って、ずっと家で弾いていました。
そして、次第にノエルは音楽への好奇心を深くしていきました。
特にSexPistolsにハマり、初めて自分でレコードを買いました。

ノエルの音楽への目覚めです。

多くの一流ミュージシャンがそうであるように、
実はギャラガー兄弟も家庭問題を抱えながら成長期を過ごしてきました

アルコール依存症の父親がしばしば家族を罵倒したり、暴力を振るったりしていたのです。
今で言うDVの被害に遭っていたのです。

特に長男とノエルに対する暴力が酷く、ノエルはストレスから失読症(吃音)になってしまうほどでした。
元々ノエルは社交的で明るい性格の子供でしたが、父親からのDVの影響で他人に心を許さない性格に変わってしまいました。

ある日、父親の暴力に耐え切れなくなったノエルは反撃に出ます。
ノエルは父親を殴り倒し病院送りにして、母親と兄弟たちと共に家を出ました。
両親はこれをきっかけにして離婚しました。

後にノエルは父親についてこう語っています。
「俺たちが有名になった頃、父親が久しぶりに現れて、償いをしたいと言ってきた。
そのくせ俺が14歳の時に作った曲が書いてある紙切れを、新聞社に売りつけようとしていたんだ。あいつらしい行動だよ。
俺たちがあいつを許すことなんて絶対にありえない。思い出すこともないさ。」

一方で、母親には深い愛情を感じているようです。
「お袋は俺たちがやりたいことを止めたことは一度もない。たとえ彼女が気に入らないことでも、彼女はいつも俺たちを支えてくれたんだ。」

1988年(リアム16歳、ノエル21歳)
2人でストーン・ローゼズのライブを見に行く

リアムは音楽に全く関心がありませんでした。
しかし、ストーンローゼズのライブを見てリアムは衝撃を受けます。

「ステージ上のイアン・ブラウンの存在感に目を奪われたんだ。
彼がステージから去った時、自分の一部も持っていかれたような気がした。
あれからだよ、音楽に夢中になりどんどんのめり込んでいったのは。
俺もバンドをやりたいと思った。人生が変わったんだ。」

この頃のリアムは、毎日地元の仲間20人ほどと地元の公園にたむろっていました。

その仲間の中に『レイン』というバンドを組んでいる友人が3人いました。
『レイン』はどうしようもなく酷いバンドだったので、このままではまともな演奏すらできない、とりあえずボーカルを変えてみようということで、歌のうまいボーカルを探していました。

そこで声の良いリアムがボーカルとして加入することになります。

リアムが加わり、バンドの新たな出発ということでバンド名も変えました。
『oasis』の誕生です。

一方のノエルは、音楽業界での成功からは程遠い生活をしていました。
肉体労働者、パン屋、看板書き、水槽作りなどの仕事を転々としていました。

ガス会社の下請けの建築会社で働いていた頃、仕事のミスでノエルは足を骨折しました。
病気休暇をもらった後、仕事に復帰すると、ノエルには貯蔵室の仕事を与えられました。
そこは運がよくてもせいぜい週に2人くらいの人間にしか会わないような仕事場で、一人でただ作業をするだけの孤独な場所でした。

ノエルはそこに自分のギターを持ち込み作曲を始めることにします。
向上心をかき消されるようなその場所で、素晴らしい曲が何曲も生み出され、後に1stアルバムに収録されることになります。
そのうちの1曲が『Live Forever』です。

『Live Forever』

ノエルは足を骨折したことを「俺の人生における重要な瞬間」と言っています。

自分に作曲の才能があることに気付いたノエルは、本格的にバンドがやりたいと思い、インスパイラル・カーペッツのボーカルオーディションを受けました。
オーディションには落ちましたが、バンドはノエルにローディーの仕事をくれました。

ノエルはバンドと共に2年間、世界中を旅します。
アメリカ、ソ連、アルゼンチン、日本…

「このツアーでハメをはずして女と遊んだりとか、あらゆる無茶なことを経験したんだ。
だから今はツアーの時に他の奴らほど浮かれたりしないんだよ、全部経験済みだからね。
それから、いろんなことをじっくり観察していたよ。
バンドがインタビューを受けたり、レコード会社の人間達と付き合う方法をね。」

1991年(リアム18歳、ノエル24歳)
oasis初ライブを行う&oasisにノエルが加入

オアシスは初ライブを行いました。
ノエルは観客席にいました。

そのライブを見たノエルの感想は、
「まったくひでぇモンだった」

リアムたちは、ノエルにバンドのマネージャーになってくれないかと頼みましたが、
ノエルの返答はこうでした。

「バカ言うな。そんなもんになるかよ。
それよりいい案があるぜ。
俺がお前らのバンドに入ってやる。
バンドは俺のやり方で、俺の曲をプレイし、毎晩練習するんだ。そうすれば世界一のバンドになれるぜ。
このままクソバンドで朽ち果てるか、俺のやり方で世界一になるか選べ。」

リアムたちは「また兄貴がデカイ口を叩いてる」と思いましたが、
ノエルの作った曲『Live Forever』を聴かされると、彼の言葉を信じ、話を受け入れることにしました。

それからというもの、オアシスは客が10人も入らないようなライブを続けながら、デモ・テープを作ってあらゆるレコード会社に売り込みをしました。
ですが、全てのレコード会社から無視されました。

それでも自分たちの音楽には絶対的な自信を持っていたので、より練習に没頭し、より質の高いデモ・テープ作りに励みました。

しかしライブにはいつまで経っても客が入らず、時には客が1人も来ない日もありました。
この頃、クラブに来る客たちはダンス・ミュージックを求めていて、オアシスが演奏を始めるとみんなバーに行ってしまうという有様でした。

ノエルは言っています。
「客が6人しかいなくて、その内3人はバーの方へ消えていく感じだったよ。
でも俺たちは、適当に何曲かやって、メインのバンドが来る前に楽屋に帰るなんて、そんないい加減な気持ちでやったことはない。どのショーでも、出演バンドの中で最高なのは俺たちだって分かってたからな。
俺たちはとてつもなく素晴らしいバンドで、それを証明しようとしてた時期だった。客が居たって居なくたって最高の演奏をしていたんだ。あの時見逃した奴らは大損しているぜ」

ノエルは作曲にいっそう打ち込みました。
マリファナを吸うのをやめて、2週間で50曲を書き上げました。

1993年(リアム20歳、ノエル26歳)
クリエイション・レコードと契約を結ぶ

クリエイション・レコードの責任者アラン・マッギーは、音楽業界で初めてオアシスの才能を認めた人物でした。
たまたまオアシスのライブを観たアランは一発で惚れこみます。
アランはバンドがまだどこのレコード会社とも契約をしていないことを知ると、その場で契約を申し込みました。

すでにオアシスが結成されてから3年近くが経ち、
「すごいバンドがいるらしい」という噂は少しずつですが業界関係者に広まっていました。
実際にライブを見にきたレコード会社の関係者は度肝を抜かれ、イギリス中のレコード会社がオアシスにオファーを申し入れました。
まだ客も入らないバンドにも関わらず破格のオファーです。

しかし、どんなに良いオファーがきてもオアシスは断りました。
クリエイション・レコードの方向性に共感を持っていたし、責任者のアランは、彼らが語る大きすぎる夢の話を真剣に聞いてくれたからです。

そしてバンドはクリエイションと正式な契約を交わしました。

アランはオアシスに持った期待を次のように語っています。
「契約した時には、プライマル・スクリームやストーン・ローゼズくらいの成功は確信していた。運がよければR.E.M.くらいのスケールで売れるだろうって。
でもその少し後『Live Forever』のテープを聴いた時は、『あいつらはマジで世界一のバンドになれるんだ』って思ったね。それくらい言葉にならなかったよ。こいつはスゴイことになるぞって。
こんなに素晴らしい曲を『ちょっと聴いてくれ』って軽いノリで送ってきたんだからね」

ようやくレコード会社との契約までこぎつけたオアシスでしたが、
史上最高のデビュー・アルバムを作りたいと思っていたので、下積み生活を続けました。
レコーディングの計画を念入りに練りつつも、今まで同様、最低週に3回の前座ライブを数ヶ月に渡って続けました。
彼らがもっとも求めていたのはクオリティーの高さでした。

ノエルの言葉です。
「クリエイションと契約した後も、俺たちみんな無一文だったよ。
27歳の誕生日のことを覚えいてるんだけど、フラットから叩き出されていたから、安ホテルの部屋にいて、電話も外されていて、気分は腹が立つくらい腐っていたよ。
のらくらしながら金が転がり込んでくるのを待ってたわけじゃないんだ。
今の俺たちがいる場所に到達するまで必死で努力したのさ。
自分たちの可能性を信じていたからね。」

次第にライブにも客が入るようになりました。
開場した時には10人しか客がいなくても、2~3曲プレイすれば満員になりました。

リアムは言います。
「本当に最高だったね。他のバンド目当てに来ていた客も、俺たちの演奏を聴いたらブッ飛んでさ。」

そして1年後、オアシスは2万人の前でライブをするようになったのです。

1994年(リアム21歳、ノエル27歳)
1stアルバム『Definitely Maybe』発表

数枚の先行シングルを出した後、満を持してデビューアルバムを発表します。
UKチャートで初登場1位。
CD売上枚数は700万枚以上、ヨーロッパ中で1位を獲得しました。

デビューアルバムの発売後は、イギリス中のどこでライブをやっても超満員。
元イギリス首相のトニー・ブレアも毎日車の中で聴いていたそうです。

長い下積み生活を経て、ついにロックスターとなったオアシス。

そしてロックスターなら一度は誰もが通る道を歩み始めます。

ライブが終わったら、パーティーを開き、
酒、タバコ、ドラッグ、SEXを満喫した後、ホテルに戻り、暴れて部屋を破壊する。
少し寝たらまたライブ…

元々フーリガンだったリアムたちは乱痴気騒ぎの生活にどんどんのめり込んでいきます。
プロ意識が高く冷静なノエルだけは、その状況をしばらく観察していました。

バンドは世界ツアーにも乗り出します。
初めていく先々でもオアシスは熱狂的な歓迎を受けました。
アイルランド、スウェーデン、日本…

特に日本の歓迎ぶりはバンドの予想を遥かに越えていたようで、日本ではまだアルバムが発売されていなかったにも関わらず、どこへ行っても熱烈なファンに囲まれました。

気をよくしたバンドは、これまでやったことのなかったアンコールを日本で初めて行いました。
曲はもちろん『Rock’n Roll Star』です(笑)
「これまでで最高のギグだった」とメンバーは口々に言っています。

『Rock’n Roll Star』

そしてアメリカ・ツアー。

アメリカだけは他の国々とは違っていました。
この国ではオアシスはただの無名なバンドで、クソみたいに扱われました。
アメリカでは他の国での成功などは全く評価されず、一から自分たちを売り込まなくてはいけませんでした。

それに加え、ノエル以外のメンバーの態度も目にあまる状態になっていました。
LAでのライブの時、寝不足と悪ふざけで最悪のパフォーマンスをしたバンドに、ノエルの怒りはついに頂点に達します。

「俺はブチ切れたんだ。全く最低だった。俺はメンバーに言ったんだ。
『お前らが持っているものを全て出せないなら、辞めちまえ、解散だ』」

ノエルは一人で飛行機に乗りイギリスに帰ろうとしました。
その時、一冊の音楽雑誌が目に止まります。

「空港へ向かうタクシーの中で音楽雑誌『メロディ・メイカー』か何かを読んでいたんだ。
その中でイギリスのオアシス・ツアーの広告を見たんだ。
チケットはソールドアウトだったよ。
それを見て思った。
もし俺がチケットを買う立場だったら、そしてバンドがキャンセルしたら…
オアシスは最低だと思うだろうね。
これまでイギリスでたくさんギグをやってきたけど、今回は初めてのビッグ・ツアーになる。
俺はメンバーのところへ戻って、自分たちで解決しなきゃいけないと思ったんだよ。」

もちろんリアムたちにも言い分はあって、独裁的なノエルに対する反発心を持っていました。
とにかく彼らはよく話し合い、またやり直すことにしました。

後にノエルは言っています。
「本当に俺は完全に頭にきてたよ。
でもそれで曲を書かなくなることはない。何があっても書くことをやめない。

1994年12月(リアム22歳、ノエル27歳)
5枚目のシングル『Whatever』発表

この曲は発売の2年前に書かれたもので、当時ノエルはこう予言しました。
「この曲は’94のクリスマスにトップ5には入る曲だよ」

なんとノエルの予言通りヒットチャート3位に入りました。

1995年
2ndアルバム『(What’s the Story) Morning Glory?』発表

『モーニング・グローリー』はアメリカを含む全世界で爆発的ヒットになりました。
CD売上枚数は1800万枚以上、当時のイギリスのアルバム売上記録を更新しました。
それまでのアルバム記録はビートルズが持っていましたが、オアシスがこれを破りました。

実はノエルは『Morning Glory』を発表する以前から、「俺たちはビートルズの記録を抜いてやるよ」と公言していました。
ほとんどの人たちはこの言葉を信じなかったでしょうけど、実際にやってのけたわけです。

このアルバムでオアシスは音楽界におけるその地位を不動のものとしました。

『Don’t look back in anger』

この曲はライブではいつも大合唱です。
オアシスの曲の中でも1番人気のある曲と言っていいでしょう。

オアシスの楽曲について、ノエルはこう言っています。

「世間の度肝を抜くようなレコードを作りたいんだ。
何もややこしいことをやろうってわけじゃないよ。
がっかりさせて悪いけど、隠された意味なんてモンはどこにも無いよ。
人から考察してもらうような曲じゃないってこと。
ギターと言葉、それだけさ。
過去を振り返ってみても、最高の曲は最高に分かりやすいだろ。ビートルズを聴けば誰にだってわかる。
今はさ、物事をシンプルにしておくってことが分かっちゃいないバンドが多すぎるぜ。
ごたく並べてんじゃねぇよ。だいたいパンクが潰そうとしたのはそういうもんだろ。」

「俺たちが誰のために音楽を作っていると思う?
毎日タバコを2箱買ってるような、人生つまらねぇことだらけの人間のためさ。金だって全然持ってないような奴さ。
俺たちのレコードを買えなくても、家の掃除をしている時にラジオをつけて、
『こいつはスゴイ、お前も聴いたかよ?』って言ってくれればそれでいい。
それが俺たちが音楽を作っていることの意義なんだよ。」

『Whatever』
作詞:Noel Thomas Gallagher

I’m free to be whatever I
Whatever I choose
And I’ll sing the blues if I want

俺は何にだってなれる
俺が望むどんなものにだって
その気になればブルースだって歌うだろうよ

I’m free to say wahtever I
Whatever I like
If it’s wrong or right it’s all right

俺は何だって言える
何でも好きなことを
たとえそれが間違っていようが正しかろうが、構わない

It always seems to me
You always see
What people want you to see

いつもお前は
みんながお前に見て欲しいものを見ているように、
俺には思える

How long’s it gonna be
Before we get on the bus
And cause no fuss
Get grip of yourself
it don’t cost much

いつになったら
俺たちは一緒のバスに乗って
騒ぎを起こさないようになるんだろう
自分自身を放すんじゃねぇぞ
金のかかることじゃねぇんだ

You’re free to be whatever you
Whatever you say
if it comes my way it’s all right

お前は何にだってなれるさ
お前が言うものなら何にだってな
もしそれが俺の思い通りのものなら、文句なしだ

You’re free to be wherever you
Wherever you please
You can shoot the breeze if you want

お前はどこにだって自由に行ける
好きなところなら何処へだってな
その気になれば、大口だって叩けるんだぜ

Here in my mind
You know you might find
Something that you
You thought you once knew

この俺の心の中に
お前は見つけるかもしれないな
お前が昔わかっていたつもりの何かを

But now It’s all gone
And you know it’s no fun
You know it’s no fun
Oh no it’s no fun

でも今はすっかりなくなっちまってる
そんなんじゃ面白くないってわかってるだろ
そんなんじゃ面白くないってわかってるだろ
ああクソッ、面白くねぇんだよ

whatever you do
whatever you say
Yeah you know it’s all right
whatever you do
whatever you say
Yeah I know it’s all right

どんなことをしても
どんなことを言っても
構わないってお前も知ってるよな
どんなことをしても
どんなことを言っても
構わないって俺は知ってるよ

この曲は超ポジティブで、
「やれないことなんて何もない。俺にもお前にもな。」
って感じの歌です。

私はこの曲が大好きで、聴くだけですごく前向きになれる曲です。

以下は私の想像なのですが、、、

『Whatever』の歌詞は、たまに暴走し過ぎるリアムに向けてノエルが諭している言葉のように思えます。

幼い頃、ギャラガー兄弟たちが父親に虐待を受けていた時、その父親をブチのめしたのは長男ではなく次男のノエルでした。
子供にとって父親は大きな壁です。
それを乗り越えるには大きな勇気と力が必要です。
しかし、ノエルは虐待の恐怖に打ち勝ち、父親をブッ倒しました。
ノエルはその時、“人生は自分の手で変えるものだ”ということを強く確信したのではないでしょうか?
そして自分には家族を守る力があるのだと悟ったのではないでしょうか。

1stアルバムを出した後のバンド解散の危機。
ちょうどこの時にタイミングよく発表された『Whatever』の歌詞には、
責任感の強く、優しいお兄ちゃんの弟への特別なメッセージを感じます。

「いい加減なことやってんじゃねぇぞ。くだらないものに目なんかくれてるんじゃねよ。」
「お前が目指したものに突っ走れよ。リアム、お前にならわかるだろ?」

そう諭しているように感じるのです。

この記事の全ての画像の引用元 oasisinet.com

関連リンク

sony music オアシス公式サイト

wikipedia whatever

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