Tom Waits『San Diego Serenade』弱者の音楽

今回紹介するミュージシャンは、日本ではあまり知られていない人かもしれません。
本国のアメリカでもビッグヒットを飛ばしているようなスターではありません。

一方で、同業者たちからは絶賛と尊敬を集めており、コールド・プレイやエルビス・コステロなど多くのミュージシャンたちが影響を受けたアーティストの一人として名前を挙げ、ロックの殿堂にも選ばれています。

個性的な歌声と優しい音色を奏でる、異才のミュージシャン。

Tom Waits (トム・ウェイツ)

『San Diego Serenade』

ゆったりとしたリズムに乗せて奏でられるノスタルジックなピアノとしゃがれた声。
緩やかな優しさに包まれた気持ちになりますね。

トム・ウェイツは少し変わった特徴をたくさん持っているユニークな人です。

トレードマークの超ハスキーな声、細長い顔、軽妙な語り口、ヨレヨレのジャケットにシワシワのネクタイ、ジャズ・ブルース・カントリーの影響を強く感じさせる音、優しく暖かいピアノ…、そして月。

彼の本職はシンガーソングライターですが、
俳優をしたり、映画音楽を提供したりと、演劇の分野でも活躍しています。

大の酒好きで、夜のネオン街が棲家。
古びた安飲み屋に集まる”社会的弱者たち”を愛してやまない彼は、
常に弱者の視点から世の中を見ています。

インタビューを面白くするためなら、平気でホラを吹くし、冗談とも本気とも取れない話をします。
一方で、プライベートに関しては秘密主義者。プライベートを隠すためにジョークで誤魔化すこともしばしばです。

ここからはトム・ウェイツがどんな人なのか、経歴を追いながら詳しく紹介していきます。
彼の人間性を知ったうえで、『San Diego Serenade』ではどんなことを歌っているのか考えてみましょう。

1949年12月7日
アメリカ・カリフォルニア州・ポモーナで生まれる

本名Thomas Alan Waits
トムは10歳まで、LA近郊の町ポモーナで暮らします。

産まれた時のエピソードをトムはこのように語っています。
「俺が産まれたのはマーフィー病院の裏に止めたタクシーの中さ。そして生まれてすぐ、タクシーの運ちゃんに言ったんだ。『タイムズ・スクウェアまで大急ぎでやってくれ!!』ってね」

これはトムのいつものジョークで、本当は、病院の中で普通に生まれたようです(笑)

家族は両親と姉が2人。両親は2人とも高校教師でした。
父親は昼間高校でスペイン語を教え、夜はバンドでギターを弾いていました。
母親も音楽が好きで、いつも歌を歌っているような人でした。

音楽好きな両親の元に産まれましたが、英才教育をするような特別な音楽一家だったわけではありません。
幼少期はごくごく平凡な時間を過ごしました。

トムの幼少期は平凡ではありましたが、感受性の強かった彼は多くの出来事を今も脳裏に焼き付けています。

トムの友達にビリーという少年がいました。
ビリーは12歳のくせに酒もタバコもやる不良少年で、周りの子供たちよりちょっと大人びたことをたくさん知っていました。
ビリーはギターの弾き方や、子供なりの苦労話をトムに面白可笑しく聞かせました。

ビリーが暮らしていたのは汚染された湖の側に投棄されたトレーラーの中。
母親との2人暮らしです。
その辺りは地元の浮浪者が野宿する治安の悪い場所でした。

ある日、トムはいつものようにビリーに会いに行ったのですが、
彼は母親と共に姿を消していました。
「ビリーから学校で学ぶより多くのことを学んだよ」と後にトムは言っています。
アメリカの貧困層の現実をトムはビリーを通じて学んだのです。

キッパーという少年とも友達でした。
キッパーは生まれつきの障害者で、車椅子で生活をしていました。
トムは『Kentucky Avenue』という曲の中で、キッパーと関わる近所の人々の姿を瑞々しく描いています。

1960年(10歳)
両親が離婚。母親と共にカリフォルニアのチュラ・ヴィスタに移住する

チュラ・ヴィスタはサンディエゴ近郊で、メキシコとの国境近くにある町です。

トムは言います。
「エンターテナーってのは、みんな幼い頃、何かしら心に傷を負ってる。家族の死とか家庭崩壊とか。だから旅に出るのさ。
家を飛び出した父親を探しに、あるいはワゴンに乗って自分探しの旅にな。そして、いつの日か有名になって『ライフ』の表紙を飾れば、カタルシスを感じて、自分のアイデンティティを取り戻せるってわけさ」

トムにとって両親の離婚は、表現者として必要な素養を身につけるために必然的な出来事だったのかもしれません。

幼い彼の心に傷をつけた両親の離婚でしたが、離婚後、父親と全く交流が無くなったわけではありませんでした。
父親はたまにトムを連れ出して、メキシコへ小旅行に行ったりしました。

トムは父親と一緒にメキシコで見た貧しい人々や舗装されていない道、錆びれた教会の鐘の音が強く印象に残っているそうです。

10代前半から仕事も始めます。
今も営業している”ナポレオンズ”という名のピザ屋でアルバイトをしました。
トムは深夜に働いていたので、仕事の合間に読書をしたり、考え事をしたり、人間観察をしていました。
またこの頃、トムはブルースに出会い、レイ・チャールズの信者になりました。
映画館にも通いつめて、時には1日に10本もの映画を見ることもありました。
「この頃の経験が、後の創作活動にとても役立っている」とトムは語っています。

音楽に目覚め始めたトムは、初めて楽器を手に入れました。
「たしかクリスマスの頃だったな。降りしきる雪で一面銀世界。
俺は仕事を終え家路についたんだ。
質流れの店の前を通りかかった時さ。ウィンドウにピアノが飾ってあったんだ。
俺は無性にそいつを弾いてみたくなった。
それで、家まで走って帰ると、お袋の袖を引っ張ってこう言ったんだ。
『あのピアノがどうしても欲しいんだ。豊かに暮らすためにはあれがなきゃ』って。
するとお袋は店まで一目散に駆けていった。空には月が煌々と輝いていたな。
彼女は店の前に立つと、なんてこった、
側にあったレンガを掴んでウィンドウに投げつけたんだ!!
それからどうなったかって?ご想像にお任せするよ」
※たぶんジョークです(笑) お母さんは普通に買ってくれたんだと思います。

彼は耳が良かったので、どんな曲もすぐに覚え弾けるようになりました。
音楽の才能があったんですね。
ただ、譜面を読むことだけは苦手で、曲を全部頭の中に入れて譜面を読むフリをしながらピアノを弾いていました。

曲も書き始めます。
たまにサンディエゴのクラブとかコーヒーハウスで演奏をしていたようです。

1966年(16歳)
高校を中退する

学校にはちゃんと通っていましたが、教師たちとしょっちゅう衝突していました。
そしてついには学校を退学してしまいます。

学校へ行く必要がなくなったトムは、ナポレオンズで働く時間を増やし、本格的に曲作りに打ち込みます。
「俺が本当に輝き出したのは学校を辞めてからさ」とトムは言っています(笑)

その後、トムはあらゆる職業を転々とします。
掃除夫、コック、皿洗い、タクシー運転手、トラックの運転手、消防士、印刷工、ガソリンスタンドの店員、漁師にミミズを売る仕事、ドアマン、バーテン、用心棒などなど…
音楽では食っていけなったので、アルバイトをいくつもこなして生活費を稼いでいました。

トムが選んだこれらの仕事。実は共通点があります。
それは「他人と同等か、下から他人を見上げる仕事」という点です。
教師・代議士・医師などのように他人から先生と呼ばれて頭を下げられるような仕事はひとつもありません。
また、アルバイトという立場なので、管理職からこき使われる立場でもあります。
彼の社会的弱者に対する深い理解と暖かい視線は、こうした経験が活きているのかもしれません。

この頃、トムは『ビート・ジェネレーション』に出会います。

『ビート・ジェネレーション』は作家ジャック・ケルアックが生み出した言葉で、1950年代のアメリカ文学界に旋風を巻き起こしました。

今の時代は世界中にバックパッカーがいますし、生まれた土地以外の場所に引っ越して働き、家族を持つというのは当たり前のことですが、当時のアメリカでは各地を”放浪”するなんて夢物語の時代でした。
ほとんどのアメリカ人は生まれた土地で働き、そして人生を終えていくという人生を送るのが当たり前の時代です。
ビート作家たちは、それを真っ向から否定し、「もっと自由に生きていいんだ」という考え方を提唱し、実践しました。各地を放浪し、麻薬をやり、惰性的なセックスにひたり、禅や仏教に学ぼうとしました。
ビートは1960年代に入るとヒッピーたちにも絶大な支持を得ます。

これから音楽の世界で生きようと思っていたトムはビートの思想に強い影響を受けます。特にジャック・ケルアックの著書『路上』に強烈な感銘を受け、彼の作品はほとんど読みました。
トムはビートの精神と生き様を実践しようと心に決めます。

一方で、ビートルズ、ザ・フーといった流行の音楽にはハマりませんでした。
コール・ポーターやモーズ・アリソンを聴き、酒を飲み、街の女に惹かれていました。
実はトムのあのしわがれ声は、長年飲んだ強い酒とタバコで徐々に作られたものです。超ハスキーボイスにするためにあえて強い酒を飲み続けて、酒焼けした喉を作ったと言われています。

ビートの精神力を手にしたトムは、精力的に曲作りを始めます。
しかし、ミュージシャンとしてのチャンスはなかなか訪れませんでした。
ギグの予定は立たず、お金はアルコールに消えて、車の中で生活していました。
報われない努力をひらすら続ける日々です。

彼の歌詞にはよくが出てくるのですが、夜の街を根城とし、夜の生活ばかりを送ってきたトムにとって、月は折れそうになる心に優しい光を当ててくれる癒しのような存在だったのかもしれません。

そんな生活の中、彼にもようやく幸運が巡ってきます。

珍しくステージに上がれたある夜、
トムのギグをたまたまハーブ・コーエンというロック・マネージャーが見に来ていました。彼はフランク・ザッパ、キャプテン・ビーフハート、アリス・クーバーなどを担当している凄腕マネージャーです。
トムの声を聴いたコーエンは「ダイヤモンドを見つけた」と確信します。
そして翌日、トムはソングライティング契約と300ドルを手にしました。

1972年(22歳)
アサイラム・レコードと契約

アサイラム・レコードの経営者デヴィッド・ゲフィン(←音楽業界の超凄腕)が、トムのステージを見て一目惚れします。

その時のことをゲフィンは振り返っています。
「ちょっと見るだけのつもりだったんだけどね。私が席についた時、彼は『Grapefruit Moon』を歌っていた。それが素晴らしい曲でね、つい他の曲も聴いてみたくなったんだ」

1973年(23歳)
1stアルバム『Closing Time』発表

プロデューサーはジェリー・イエスター。
“トムとジェリー”はわずか1週間半ほどでレコーディングをしました。

発売当時『Closing Time』はトムたちが期待したほどセールスが伸びず、不発に終わります。

しかし、『Ol’55』『Martha』『Ice Cream Man』『Closing Time』『Little Trip to Heaven(On the Wings of Your Love)』『Grapefruit Moon』といった今もファンに愛され続けている名曲が収録されており、細々とではありますが何年にも渡ってロングセールスを続け、後に名盤と呼ばれるまでの評価を受けます。

『Ol’55』


詩は20歳そこそこの青年が書いたとはとても思えないほど成熟しています。
トム・ウェイツワールドとも言える彼の世界観は、すでにこの頃から高いレベルで完成されていました。またイーグルス、サラ・マクラクラン、エリック・アンダーソンなど多くのミュージシャンがカバーしている曲でもあります。

トムが1番酒に溺れていたのがこの時期で、レコードデビューと重なったため、”トム=酔いどれ詩人”というイメージがファンたちの第一印象となりました。

1974年(24歳)
2ndアルバム『The Heart of Saturday Night』発表

プロデューサーは、ここからトムと長い付き合いになるボーンズ・ハウ。
超一流スタジオミュージシャン、マイク・メルヴォインも参加しています。

このアルバムには、トムが働いていたピザ屋を歌った『Ghosts of Saturday Night』や、名曲『The Heart of Saturday Night』、この記事で紹介する『San Diego Serenade』も収録されています。

余談ですが、このアルバムはB’zの稲葉浩志さんが別冊カドカワのインタビューで最高の洋楽アルバムのひとつとして選んでいます。

トムは24歳までに2枚のアルバムを発表し、評論家にもミュージシャンたちにも大好評でしたが、一般の人たちには受けず、レコードはほとんど売れませんでした。
質の高い作品を世に送り出してはいましたが、人々が求める音楽のトレンドにはかすりもしない作品だったので、世間的には評価されなかったのでしょう。
ツアーを組んでも大物アーティストやコメディアンの前座がほとんどで、不遇の時代を過ごします。

ただ、当時のトレンドには乗っていなくても、この2枚のアルバムは素晴らしい楽曲揃いの名盤です。後にトム・ウェイツの評価が高まってからは見直され、現在も売れ続けています。

トム・ウェイツは多くの作品の中で、心を痛めている人々を描いてきました。
生活が苦しい人、愛情が与えられなかった人、恋に破れた人、必死にもがく人…
そんな人々の心に寄り添い、暖かい眼差しを送り続けています。

これから和訳する『San Diego Serenade』もそんな一曲です。

恋に破れた男を歌っていて、故郷サンディエゴへの想い、故郷に残してきた彼女への想いが重なる叙情的な詩です。
彼女の心を大切にできなかった男の後悔と、美しいピアノの音が交錯する名曲です。

『San Diego Serenade』
作詞:Tom Waits

I never saw the mornin’ ‘til I stayed up all night
I never saw the sunshine ‘til you turned out the light
I never saw my hometown until I stayed away too long
I never heard the melody until I needed the song

眠らずに夜を明かすまで、朝を見たことがなかった
君が明かりを消すまで、太陽の光を見たことがなかった
遥か遠くへ旅立つまで、故郷を見たことがなかった
歌が必要になるまで、そのメロディを聴いたことがなかった

I never saw the white line ‘til I was leavin’ you behind
I never knew I needed you until I was caught up in a bind
I never spoke “I love you” ‘til I cursed you in vain
I never felt my heart strings until I nearly went insane

君を残し離れるまで、コカインを見たことがなかった
こんなに苦しくなるまで、君が必要だと気付かなかった
君のことを虚しく罵るまで、「愛してる」と言わなかった
気が狂いかけるまで、心の琴線に触れたことがなかった

I never saw the east coast until I moved to the west
I never saw the moonlight until it shone off of your breast
I never saw your heart until someone tried to steal it, tried to steal it away
I never saw your tears until they rolled down your face

西部に引っ越すまで、東海岸を見たことがなかった
君の胸元を照らすまで、月明かりを見たことがなかった
誰かが盗み去ろうとするまで、君の心を見たことがなかった
君の頬を流れ落ちるまで、君の涙を見たことがなかった

I never saw the mornin’ ‘til I stayed up all night
I never saw the sunshine ‘til you turned out your love light babe
I never saw my hometown until I stayed away too long
I never heard the melody until I needed the song

眠らずに夜を明かすまで、朝を見たことがなかった
君の愛の光が消えてしまうまで、太陽の光を見たことがなかった
遥か遠くへ旅立つまで、故郷を見たことがなかった
歌が必要になるまで、そのメロディを聴いたことがなかった

全ての文が『I never ~ until…』の形で綴られている詩です。
彼女の心に気づいてあげられなかった男の、とても深い後悔の気持ちが伝わってきますね。

女々しい男の泣き言の歌とも言えなくもないですが(笑)、それ以上にロマンティックな表現が際立ちます。

この歌詞で特に注目したいのは各段落の2行目です。

I never saw the sunshine ‘til you turned out the light
I never knew I needed you until I was caught up in a bind
I never saw the moonlight until it shone off of your breast
I never saw the sunshine ‘til you turned out your love light babe

君が明かりを消すまで、太陽の光を見たことがなかった
こんなに苦しくなるまで、君が必要だと気付かなかった
君の胸元を照らすまで、月明かりを見たことがなかった
君の愛の光が消えてしまうまで、太陽の光を見たことがなかった

月と太陽を対照的に使って、男の気持ちを表現しています。

3段落目の一文。「君の胸元を照らすまで、月明かりを見たことがなかった」
夜、一緒にベッドで寝ているときに、彼女の胸元を月が照らした光景。
ほのかに照らす月の光と、彼女の胸=彼女の繊細な気持ちをかけています。

月はトムにとって癒しであり逃げ場の象徴です。辛い現実を闇で隠し、束の間だけ優しい光で自分を照らしてくれる存在です。この歌詞では彼女を月に置き換えています。(ヨーロッパや沖縄などでは月は女性、太陽は男性という意味があります)
一方で、太陽はトムにとって辛いものです。その強い光で全ての辛い現実を白日の下にさらし目をそらすことを許さない、逃げ場を与えてくれない存在です。心を痛めている人には眩しすぎる、目のくらむような光です。この歌詞では、彼女を失った男性の心を比喩しています。

トムは『San Diego Serenade』で、月と太陽を使って見事な物語を作り上げています。

「恋人が居なくなった寂しい」「つらい」「お願い帰ってきて」「まだこんなに好きだから」「あんなに楽しかったたくさんの思い出」みたいな軽い言葉はトム・ウェイツのラブソングには出てきません(笑)

息をのむようなロマンティックな表現を使って心象風景を伝えることができる…。
まさしく天才詩人です。

トム・ウェイツは自分の音楽性についてこう言っています。
「俺の得意な楽器は何かって? そりゃあ言葉だよ」

画像引用元:
TomWaits公式サイト
wikipedia

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