Green Day
言わずと知れた「No.1パンクロックバンド」ですね。
アメリカのバンドですが、日本やイギリスなど世界中に熱狂的なファンがいます。
80年代の終わり、アメリカではアンダーグランドでしか広まっていなかった"パンク"というジャンルの音楽を大衆音楽にまで引っ張り上げた功績のあるバンドです。
Green Dayには数多くのヒット曲がありますが、今回紹介するのはこの曲。
『When I Come Around』
日本でライブをした時の映像です
Green Dayのメンバーは3人
ビリージョー (BillieJoe Armstrong:ボーカル&ギター)
マイク (Mike Dirnt:ベース)
トレ (Tre' Cool:ドラム)
グリーンデイの曲はとてもキャッチーでノリが最高です。
パンクの王道を行っていますよね。
音だけを聴いているとメジャー(長調)でポジティブな印象を持つ曲ばかりです。
ところが、彼らの歩んできた人生はとても険しいものでした。
特にビリージョーとマイクが直面してきた現実は"イバラの道"
それだけに彼らの書く詩は奥深いです。
ビリージョーとマイクはずっと同じ学校で、小学校4年生(10歳)くらいの時から友達でした。
いつもつるんで遊んでいました。
竹馬の友、無二の親友ってやつですね。
幼い頃のビリージョーは物静かで、マイクは冗談ばかり言うクラスの人気者でした。
ちなみにトレは普通の家庭で幸せな幼少期を過ごし、今も昔も下ネタばっかり言ってるイカれた奴だったようです(笑)
歌詞を和訳する前に、ビリージョーとマイクの青春(生い立ち)を紹介します。
グリーンデイの詩に込められた想いは、彼らの人生を知らない限り絶対に理解できません。
彼らの幼少期にどんなことが起きたのか、前提となる知識を持っておきましょう。
まずはビリージョーから。
1972年2月17日
アメリカ・カリフォルニア州・ロデオで産まれる
6人兄弟の末っ子として誕生しました。
父親はトラック運転手&Jazzドラマーで、母親はウェイトレス。
父親が音楽好きだった影響もあって、5歳の頃には、小児科の病院や保養所を回って患者のために歌ったりしていました。
町の小さなレコード会社で曲をレコーディングしたこともあります。
しかし、ビリージョーはこう言っています。
「無理やり歌わされていたんだよ。歌なんて別に好きじゃなかった。それよりも俺はギターを弾きたくてさ。でも実際にやらされたのは歌とかピアノだったな」
1983年 ビリージョー11歳
父親が癌(がん)により死去
父親は死の間際、ビリージョーにギターをくれました。
青色のストラトだったので、そのギターに父親は"ブルー"と名付けていました。
ブルーは300ドルの安物ギターでしたが、ビリージョーは現在も使っています。
私たちもライブに行けば見ることができます。
この写真のステッカーが貼りまくってあるギターがブルーです。
一家の大黒柱だった父親が倒れて、生活は一気に貧しくなりました。
母親はレストランのウェイトレスの仕事を続けましたが、家計はいつも火の車。
6人も子供がいるので、学費を払うのも大変な状況でした。
小学生だったビリージョーも家計を助けるため母親が働いていたレストランでバスボーイ(食器などを運ぶフロア係)として働いていました。
1985年 ビリージョー13歳
母親が再婚
ビリージョーと兄弟の6人はみな新しい父親を酷く嫌いました。
子供たちに愛情をかけない男だったようです。
また、母親は苦しい家計を支えるために仕事に専念するようになり、子供たちはほったらかしの状態になりました。
そのため家庭内はいつもサツバツとしていて、子供たちはストレスを抱えながら生活していました。
この頃、ビリージョーは初めて曲を書きました。
『Why Do You Want Him』
(訳:なんで母さんはあんな奴を求めるの?)
この動画は2010年のライブ映像。
実のお父さんからもらったブルーを弾きながら歌っていますね。どんな意味を持つ曲なのか知っていると切ない…ノリノリではとても聴けません…
ビリージョーが住んでいた町はレコード店も少ない田舎町。
「毎日の楽しみといえば、父親からもらったブルーを弾くのとオナニーすることくらいだったよ」とビリージョーは冗談交じりに言います。
ロックを知ったのは近所の年下の子供が聴いていたモトリー・クルーを知ったのが最初だったそうです。
音楽を聴きたいと思っても、レコードを買う金がありませんでした。
1987年 ビリージョー15歳
高校に進学
高校に入ってからは、マイクと一緒にコメディーテープを作ったり、女の子の家に忍び込んだり、煙草を吸ってみたり、ドラッグに手を出してみたりしていました。
また、親友のマイクが家を出て1人で住み始めたので、ビリージョーも影響されて、家を出てマイクと一緒に住み始めました。
遊ぶのもトラブルに巻き込まれるのも、ビリージョーとマイクはいつも一緒でした。
このようにビリージョーは、父親を早くに亡くして義父とはいい関係が築けず、とても貧乏で小学生の頃から働き続け、15歳で家を出て1人立ちをするという、辛いことばかりの青春時代を過ごしました。
次にマイクの青春はどんなものだったのか見てみましょう。
1972年5月4日
アメリカ・カリフォルニア州・ロデオで生まれる
兄弟は姉が1人いました。
ヘロイン中毒だった母親はマイクたちを育てられる状態ではありませんでした。
そのためマイクたちは養子に出されます。
白人とネイティブアメリカンの養父母の元で育てられることになったのです。
この世に生を受けて、いきなり生みの親から引き離されました。
1979年 マイク7歳
養父母が離婚
養子に出されて間もなく、養父母が離婚してしまいました。
その後、マイクは実父と共に生活していましたが、うまくいかずに実母の元へ帰りました。
母の元へ帰ったものの、母はヘロイン中毒者だったので経済的に酷いものとなり、マイクのお姉ちゃんは生活苦に耐えきれず13歳で家出をしたほどでした。
1983年 マイク11歳
母が突然再婚
ある日、母親が見知らぬ男を家に連れてきて、そのまま一緒に住み始めました。
突然自分の家に知らない大人の男が住み始めてストレスを感じない子供なんていません。
母親も男も子供たちの気持ちを何も考えることなく、自分たちの都合だけで行動しているわけですから、完全に大人としてどうかしています。
当然、マイクとお姉ちゃんは再婚相手の男に心を開くことはありませんでした。
1987年 マイク15歳
高校進学
今度は母親が家出すると言い出しました。
母親はマイクに「一緒に来る?」と聞きましたが、マイクは家に残ることにしました。
マイクが住んでいる街ロデオには友達もバンドも学校もあり、マイクの生きがいがありました。それに、こんな無茶苦茶な母親について行っても今以上に良いことがあるとは思えません。
母親と姉がいなくなった家の中には、マイクと見知らぬオッサン(義父)の2人だけになりました。
そんな状態で生活できるわけもなかったので、マイクは家を出ます。
いろいろな場所を住み渡りながら、コックの仕事をして生計を立てていました。
まだ15~16歳のマイクには生きるだけで精一杯の毎日でしたが、働きながら高校にもちゃんと通い、キッチリ卒業しています。
不思議なもので、家を出てから義父との関係が少しずつうまくいき始めました。
お互いに家族を失って孤独な存在となり、心に何か通じるものが生まれたのかもしれません。
始めはただの他人だった彼からいろいろなことを学び、マイクは産まれて初めて親子の愛情らしいものを感じることができたのです。
ところが…
1989年 マイク17歳
義父が癌で他界
やっと人並みに親の愛情を感じられた矢先に、失ってしまいました。
孤独な人生の再開です。
マイクの青春は暗黒そのものです。
父親はおらず、母親はとても子育てができる人ではありません。
里子に出された途端に里親は離婚するし、実家に戻っても金は麻薬に使ってしまうので極貧生活だし、知らない男を連れ込まれるし、そいつとようやく打ち解けられたと思ったら死んでしまうし。10代から働いて、住む場所を転々とする半ホームレス生活。
マイクには何一つ落ち度がないのに、投げ出したくなるような幼少期を過ごしていました。
しかし、マイクはこう言っています。
「俺は特別不幸な家庭に育ったとは思っていないんだ。そりゃあ、影響はあったよ…。
でも、俺には逃げ道が常にあったんだ。
音楽だよ。
全ての怒りをベースにぶつけていたね」
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ここからは、ビリージョーとマイクがバンドを結成して以降の人生を見ていきましょう。
1987年 15歳
『SWEET CHILDREN』というバンドを結成
辛いことばかり味わってきたビリージョーとマイクには音楽だけが生きる喜びでした。
そこで2人はバンドを組むことにします。
結成当時は友達4人バンドでしたが、やはり音楽的才能のあったビリージョーとマイクは実力のあるメンバーを求めるようになります。
実力のないメンバー2人を辞めさせて、ジョンというドラマーを入れて、スリーピースバンドとなりました。
1989年 17歳
パンク専門のインディーズレーベル・Lookout Recordsと契約
バンド名を『Green Day』に改名し、本格的にバンド活動を始めました。
ちなみにGreen Dayとは「大麻を吸う日」という意味です。みどりの日じゃないですよ(笑)
音楽業界にチャンスを求めたビリージョーたちはレコード契約を取ろうと考え、Lookoutの社長に手紙を書いて、デモテープを送りました。
「このデモテープを聴いてください、俺たちにオーディションを受けさせてください」
Lookoutの社長はどこの馬の骨ともわからない17歳のガキどもに関わりたくなかったので、ビリージョーたちにこう伝えました。
「会社から200マイル(約320km)北の田舎の小屋で夜にオーディションするから、やる気があるなら来なさい」
ビリージョーたちはその言葉を信じて行きます。
しかし、着いてみたらその小屋には鍵がかかってました。
雨も降ってきました。
寒くてしょうがないので、鍵を壊して小屋の中に入ってみると…、その小屋には屋根がありませんでした。
電気もありませんでした。
社長はビリージョーたちを騙したのでしょうか?
実は、社長はちゃんと約束の時間にそこへ行っていました。
これだけの無理難題をふっかけられても弱音を吐かない奴らなのか、根性があるのか試したのです。
「どうせ俺が来るのを待たずに帰るだろう」と社長は思っていました。
しかし、ビリージョーたちは待っていました。
どこからか発電機を盗んできて、ギターアンプに繋ぎ、音を出せる状態にしました。
さらに、電気がなく暗かったので、近所の子供を12人集めてロウソクを持たせ、隠れて見ていた社長の前で演奏を始めたのです。
ロウソクの光の中で演奏する彼らの姿を見て「こいつらはモノが違う」と感じた社長は即決します。
その場で契約を結びました。
1990年 18歳
1stアルバム『39/smooth』を発表
この1stアルバムはインディーズレーベルとしては成功を収めます。
Green Dayは地元でちょっと名のしれたバンドになりました。
『At the Library』
この映像を観ると、友達しか集まらないような小さなライブから始まったことがよく分かりますね。
この頃、ビリージョーはバンドに専念するため高校を中退しました。
1991年 19歳
ドラマーのジョンが安定した生活を望んで脱退し、現在のドラマー・トレが加入
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1992年 20歳
2ndアルバム『Kerplunk』を発表
『One for the Razorbacks』
このアルバムは制作費がたったの1000ドル(11万円くらい)
1stアルバムが売れたと言っても、お金は全然ありませんでした。
低予算で製作されたにも関わらずセールスは大成功で、あっという間に1stアルバムの売り上げ記録を抜きました。
Green Dayの人気は口コミで徐々に高まっていきます。
1993年 21歳
Reprise Recordsに移籍
アメリカ国内のGreen Dayの人気は大きくなりすぎて、興行をしていく上でLookout Recordsでは手に負えなくなることが増えてきました。
初めてライブを行ったニュージャージーでは1000人もの観客が来ました。
その中のあるファンがメンバーに言いました。
「今夜ライブに来たファンは、みんな友達からダビングしてもらったカセットテープしか持ってないんだよ、CDが手に入らないんだ」
この言葉を聞いたGreen Dayは、メジャーレーベルへの移籍が必要な時だと判断。
そして、Reprise Recordsと契約することになります。
1994年 22歳
3rdアルバム『Dookie』を発表
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GreenDayは『Dookie』でメジャーデビューします。
『Dookie』は世界中でロングヒットし1000万枚を超える売り上げを記録。
グラミー賞などの各音楽賞も受賞しました。
日本人に初めてGreen Dayが認知されたアルバムと言ってよいでしょう。
当時は1枚のアルバムの制作に1億円以上かけることも当たり前の時代でしたが、このアルバムにかけられた制作費はたった3000ドル(33万円)
素晴らしい作品を作るためにお金は必要ないことをGreen Dayは証明してみせました。
『Basket Case』
『Dookie』は爆発的なヒットとなり、モンスターアルバムと呼ばれていますが、収録されている曲の歌詞は、"辛さ"を表現したものが大半です。
「もう疲れたよ」「お前のせいだ」「俺はダメだ」という歌詞ばかりです。
例えば
『Burn Out』は、自暴自棄の歌
『Having A Blast』と『Chump』は、他人に八つ当たりしている歌
『Long View』は、ニート生活を送る人の気持ち
『Welcome To Paradice』は、母親に捨てられた子供の孤独な気持ち
『Pulling Teeth』は、マイクと元カノのケンカの話
『Basket Case』は、俺は愚かでどうしようもないと嘆いている歌
『Sassafras Roots』でも、俺は人生を無駄にしていると嘆いています
『Coming Clean』は、自分がバイセクシャルだと気付いた時の戸惑いの歌 (※ビリージョーは自分はバイセクシャルだとカミングアウトしています)
『Dookie』という作品は、彼らが10代で経験した苦しみ・怒りを表現したような歌詞のオンパレードです。
アルバムタイトルのDookieとは「下痢」という意味のスラングです。いかにもパンクバンドっぽいジョークでつけたタイトルのように聞こえますが、彼らのお腹に溜まりに溜まった不満を吐き出したという本音も隠されているのではないでしょうか。
ビリージョーはこう言っています。
「俺達は生まれてきた時からずっと負けの人生だ。負け続けてきた。」
しかし、こうも言っています。
「人にとって音楽とは心の虚しさを埋めてくれるものなんだ。宗教に似ている。
俺が人生を棒に振らなかったのは、俺は音楽をやらなければならないと分かっていたからさ」
今から歌詞を和訳する『When I Come Around』は『Dookie』に収録されていますが、数少ない希望のある曲です。
歌詞の中には2人の自分が登場します。
"I(俺)"は強く優しい自分。
"You(君)"は現実の苦しみの中にいる自分です。
強い自分が、自暴自棄になりかかっている自分に語りかけている内容です。
『When I Come Around』
作詞:BillieJoe Armstrong
I heard you crying loud /all the way across town
You've been searching for that someone /and it's me out on the prowl
As you sit around /Feeling sorry for yourself
街を横切る全ての通りから、君の泣き叫んでいる声が聞こえたよ
君はある人を探し回っていたね、それは外をうろつき回ってる俺のことだよ
君は何もせずブラブラしている時、自責の念に駆られているね
Well,don't get lonely now /and dry your whining eyes
I'm just roaming for the moment /Sleazin' my back yard
So don't get so uptight /You've been thinking about ditching me
今は独りぼっちになるな、涙に濡れた目を拭けよ
とりあえず俺はぶらついているよ、裏庭でくつろいでいる
そんなに神経質になるなよ、君は俺を捨てようと思っているんだな
No time to search the world around
Cause you know where I'll be found
When I come around
世界中を探し回る時間はない
だって、俺が見つかる場所を君は知ってるんだ
俺が戻ってきた時にね
I heard it all before /So don't knock down my door
I'm a loser and a user
So I don't need no accuser to slag me down /becouse I know you're right
前に全部聞いたよ、だから俺のドアを壊すなよ
俺は敗者で麻薬常習者だ
だから俺をボロカスにしようとする告発人なんていらないよ、君が正しいってことは知ってるからさ
So go do what you like /Make sure you do it wise
You may find out /that yourself doubt means nothing was ever there
You can't go forcing something /if it's just not right
だから君は好きなことをしに行けよ、うまくやれよ
たぶん君は気づくよ、自分自身を疑ってもそこには何もないってことに
何かを押し付けることはできないんだよ、もしそれが正しくないのなら
No time to search the world around
Cause you know where I'll be found
When I come around
世界中を探し回る時間はない
だって、俺が見つかる場所を君は知ってるんだ
俺が戻ってきた時にね
ビリージョーとマイクは幼い時から大変な試練をいくつも体験してきました。
貧困、愛情不足、死別…
家族に囲まれて普通に生活している同級生たちを羨ましく思ったり、妬んだり、自分の運命を呪った日だってあったと思います。
しかし、辛い毎日に耐え切れず全てを投げ出そうとしている時でも、本当は何が正しいのか知っている、自らを許してくれる、そんなもう1人の自分が心の中にいたのではないでしょうか。
「自分を見失うなよ」
「君は正しい道を知っているだろ?」
そう言っているように思えます。
また、この歌詞は私に別の想像をさせます。
ビリージョーとマイクは小学校の頃からいつも一緒でした。
互いの家庭が抱える問題もずっと見てきたし、似た境遇だった2人は、お互いの心を誰よりも深く理解できたはずです。
この曲はビリージョーが作詞しました。
もしかしたら、ビリージョーが傷ついてるマイクに向けて歌っているのかもしれません。
「お前のことなら何でも知っている。お前には俺がついている。お前が立ち直るまで、待ってるぞ」
そんな友情の曲なのかもしれません。
『Good Riddance』の歌詞解説もしています。よろしければ!
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Green Day 『Good Riddance (Time Of Your Life)』 音と人生と変化
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<当記事の画像引用元>
Instagram @greenday
Instagram @mikedirnt
<GreenDay公式サイト>
http://www.greenday.com/
<関連サイト>
wikipedia when I come around