U2『kite』 ボノと父、それぞれの思い

 

私の大好きなバンドU2

世界的な超人気バンドであり、CDなどもすごいセールスを記録しています。

グラミー賞も20作品以上で受賞するなど、ロックミュージックのトップに君臨するバンドと言っても過言ではないでしょう。

 

 

彼らはライブバンドとしても高い評価を受けていて、観客の動員数の世界記録のベスト3は全てU2のライブです。
ボーカルのボノが大袈裟に体でリズムをとったり、コール&レスポンスなどをして観客を盛り上げます。
バラードでは情感たっぷりに歌い上げます。
ライブのセットは大規模で、随所に観客を圧倒し、感動させる演出を入れています。

 

しかし、それだけなら普通の売れているミュージシャンはみんなやっていることです。
人種、国籍を越えて世界中の人々を感動させるNo.1バンドになるには、それだけではない何かが必要なはずです。

彼らの何が人々を感動させるのでしょう?
彼らの音楽の力は一体どこから来ているのでしょう?

 

それを説明するために、
この記事では彼らの曲『kite』を紹介&和訳します。
まずは一度聴いてみてください。

 

U2『kite』

 

U2は4人メンバーです。

 

【ボーカル】ボノ

 

【ギター】ジ・エッジ

 

【ベース】アダム・クレイトン

 

【ドラム】ラリー・マレン・ジュニア

 

結成から約40年経った現在まで変わらずこのメンバー。
とっても仲のいいバンドです(笑)

ボノはチョイ悪スターって感じで、エッジは物静かな人、アダムは下町の頑固職人みたいで、ラリーが一番カッコイイ顔してると思うけど、どうでしょう?

 

ちなみにボノ(Bono)というのは彼の友達がつけたあだ名で「うるさい奴」という意味です。

ボノはいつも喋っていてみんなを楽しませるクラスのリーダー的存在でした。

 

U2の音楽性を作り上げているボノの人生

さて、いよいよ本題です。

『kite』の歌詞を訳す前に、作詞を手がけるボーカル・ボノがどういう人生を送ってきた人なのか年表式で探っていきます。

詩に込められた本当の意味を、ボノという人を知ることによってより深く理解しましょう。

 

1960年5月10日 アイルランドの首都ダブリンで産まれる

 

ボノの父親は郵便局員、母親はニットウェアを作る会社に勤めていました。
兄弟は7歳年上の兄がいました。

いわゆる労働者階級ですね。
金持ちではないけれど、食べるものに困ることはない普通の家庭でした。
父親は公務員ですから生活は安定していました。

ボノの父親は結核を患っていましたが、家計を支えるためそれを隠して仕事を頑張っていたので、心身共に苦しい時期もありました。
当時のダブリンでは結核が流行しており、こういうことはよくあったようです。

 

ボノが生まれた頃のアイルランドという国は、非常に不安定で物騒な国でした。

イギリスとの国境問題、カトリックとプロテスタントの宗教問題を抱えていて紛争状態にありました。
IRAというテロ組織の活動が活発で、ロンドンでは街中で爆発が起きていました。

国が荒れると人々の心も荒れます。
若者がその悪影響を一番受けて、ダブリンの街中ではギャング同士が抗争をしていました。

ボノもギャングのリーダー格だったので、家から一歩外へ出ると他のグループに襲われる毎日を送っていました。

ボノは喧嘩が強かったのでほとんどの場合は撃退していましたが、
「腕っ節が強くないと生きていけない、そういう毎日だった」
「一度、鉄パイプで頭を強打されそうになったことがあるけど、運良く防ぐことができたんだ。あのときは本当に間近に死を感じたよ」
とボノは語っています。

ギャングで手がつけられないほどの悪だったボノでしたが、
意外にも、父親から教わったチェスに才能を発揮し、12歳の頃、全アイルランド・トーナメントで2位になったことがあります。大人を負かす子供として有名だったそうです。
また学校の成績もトップクラスでした。
「学校には全く興味を持てなかった」とボノ本人は言っていますが、すごく頭の良い人だということが分かりますね。

 

国の問題だけではなく、宗教もボノの周りに問題を起こしていました。
ボノの父方の家系がカトリック、母方がプロテスタントだったからです。
アイルランドではカトリックとプロテスタントが血みどろの抗争を繰り広げている中で、ボノは両方から疎まれる環境にあったわけです。

両親はボノを片方の宗教につかせず両方の教会に連れて行きました。
母親とボノ兄弟がプロテスタントの教会で祈りを捧げている間、父親は外で待っていました。
両親は宗派を超えた人間形成を願っていたようです。カトリックやプロテスタントに縛られず、もっと違う視点から価値を理解できる人になって欲しかったのかもしれませんね。

進学は1972年、ダブリンで初めて無宗派の総合共学校として開校されたマウント・テンプル校に進むことができました。

 

1974年 ボノ14歳 母親が急逝

祖父が急死し、ショックを受けたボノの母も、その四日後に亡くなってしまいます。
祖父の葬式の時に彼女は倒れて、そのまま意識が戻りませんでした。

父は母が死んでから一言も彼女のことを語りませんでした。
きっと突然家族を2人も失い、シングルファーザーとなった父も辛かったのだと思います。

一方、ますます心が荒れたボノは7歳上の兄といつもケンカばかりするようになりました。
ギャングのボノですから言い合いとか掴み合いなんて生ぬるい兄弟喧嘩じゃありません。
ナイフを投げたりとか、そういうケンカです。
家のキッチンには血の染みがついていたそうです。

母の死によって、家族の心が壊れてしまったのです。

 

しかし、そんな時にボノはパンクロックと出会います。

パンクロックがボノの若い血をたぎらせ、心の傷を癒してくれました。
「怒りや悲しみで堅くなった人の心を音楽は溶かしてくれる」と後にボノは語っています。

ちなみにボノは兄とだけでなく、父ともケンカをしたのですが、逆にボコボコにされて意識を失いかけました。
それ以来、父の前では2度とカンシャクを起こさないようにしていたと言っています。

ケンカ慣れしたギャングのボノを叩きのめすパパって、強過ぎですね(笑)

 

1976年 ボノ16歳 バンド結成

 

ドラムにハマっていたラリー・マレンが学校の掲示板にバンド募集の広告を出します。
それを見たボノ、エッジ、アダムが参加し、バンド結成!!

マウント・テンプル校で現在のU2のメンバーと出会うことになったのです。

ボノは「将来、絶対にビッグになりたい」と強く思っていました。

「このまま就職して、結婚して、衰えて死ぬ。そんな人生考えたくもない!!」
そう思っていたボノは、彼の理想と真逆の人生を送っている公務員の父を毛嫌いしていました。

父はとても頑固で無口な昔気質のアイルランド男で、
「夢を見るな! 夢を見ることは失望することだ」というような人でしたから、理想家のボノと気が合うはずもありません。

後にU2がビッグになった時に、ボノは父にジュリア・ロバーツを会わせたことがあります。
ボノが彼女を父に紹介すると、
「プリティ・ウーマン? バカ言うな」
ひとこと言って立ち去ってしまう、そんな偏屈者の父親でした。

 

1978年 ボノ18歳 U2として本格的に活動開始

ボノたちは結成したバンド名をU2に改め、コンテストで優勝し、レコード会社CBSアイルランドと契約することに成功しました。

この頃になると、ボノと父との関係はかなり改善し始めていました。

父はボノにこう言いました。
「お前に1年やろう。今年の終わりにお前たちのバンドに何事もなければ、家を出て職に就け」

つまり1年間は面倒をみてやると言ったのです。
不器用な父は、彼なりに必死で親の務めを果たそうとしていたのでしょう。

実は、父はオペラ歌手になりたかった夢を若い頃にあきらめたことがありました。
父にとってそれが人生における最大の後悔であり、現実の厳しさを知った経験でした。
だから「後悔をするくらいなら夢を見るな」と子供達に教えてきたのです。

しかし、ボノの熱意に押され、父はボノのために大学もいかせてくれたし、ギターレッスンにもお金を出してくれました。

ボノたちがロンドンでレコード契約をとってくる時には、ロンドンまでの旅費のお金が足りなかったので、メンバーみんなでそれぞれの親の元に行き、
「すごいアイデアがあるんだ!!ロンドンでレコード契約が取れそうなんだ!!」
「金がどうしても足りないから500ポンド出して欲しい」
と頼んで回りました。

ボノの父親も出してくれました。
ジ・エッジの親も、ラリーの親も、アダムの親も出してくれました。

 

1979年 ボノ19歳 デビュー

U2はCBSアイルランドよりEP 『U2 3』でデビューし、なんとアイルランドチャートで1位を獲得します

 

1980年 ボノ20歳 1stアルバム 『Boy』 を発表

このアルバムの1曲目の『I Will Follow』はボノの亡き母へ捧げた曲として有名です。
明るい曲調に乗せて純粋無垢な子供の母親に対する愛情を歌いました。

ボノは「女の子でも、車でも、セックスや薬でもなく……俺が書くことを始めたのは、死についてだった」と語っています。

『Boy』は死と向き合ったボノの心情が表現されたアルバムです。

 

U2はアイルランドの音楽新聞『ホット・プレス』の人気投票で、主要5部門の首位を独占するほど、絶大な人気が出ありました。

とはいえ、まだまだ暴れたりない20歳の若造です。
日本の成人式を見ればわかりますよね、まだまだ暴れたい年頃です。ボノは元々ギャングですしね(笑)

「Guggi(友人)とケンカしたときだよ。Guggiたちが俺の車をティッシュ・ペーパーでくるんだんだ。完全にだよ。何ダースもの卵を使って張り子みたいにして、ティッシュと卵の繭みたいに封じ込めてしまった。俺が起きていくと、奴らは卵を投げつけてきやがってさ。」

こんな感じで、ハメを外した遊びをしていました。

当時はまだ父親と住んでおり、Guggiたちのイタズラに気づいた父親は、いつも枕の下に忍ばせてある鉄の棒みたいな愛用の武器を持って、「あの悪党どもめ!!」と大声で叫びながらGuggiたちを追いかけ回しました…
なんか壮絶な光景ですね(笑)

 

1983年 ボノ23歳 3rdアルバム『War』を発表

全英チャート初登場1位獲得など世界的にブレイク!!

この作品でU2は『単に愛を歌うバンドではなく、政治的・社会的問題に対してもメッセージを出すバンド』という印象を世に与えました。

アルバムの1曲目『Bloody Sunday』はアイルランド紛争から起きた悲劇『血の日曜日事件』の悲しみを歌いあげています。ライブではこの事件で亡くなった人々の名前を一人ずつ読み上げるなど、社会的メッセージを強烈に表現している曲です。

U2はこの後も精力的にアルバムをリリースし続け、ヒットを連発していきます。
世界的に認知され、世界ツアーを行ったり、大規模なチャリティー運動をしたりして世界で最も有名なロックバンドと言えるほどになりました。

 

商業的大成功を収めたボノは、父をアメリカ・テキサスで行われたライブへ招待します。

ボノはライブ中に言いました。
「みんな、今夜はテキサスに来たことのない人が来てるんだ」
「アメリカにも来たことなかった、アメリカでU2のコンサートを見たこともない」
「テキサスの紳士淑女諸君、君たちに俺の父親、ボブ・ヒューソンを紹介したい」
「そこにいるのが彼だ!」
照明があてられて、父は立ち上がり、そして、ボノに向かって拳を振り始めました。

コンサートのあと、感動し目を赤くした父はボノを抱きしめて、こう言いました。
「息子よ……お前はすごくプロフェッショナルだ……」

笑いながらボノはこの時のことを振り返っています。
「(パンク好きの元ギャングの俺に対して)プロフェッショナルという言葉は冗談にしか聞こえなかったけど、とても感動的だったよ」

母親が亡くなって以来、ずっと不仲だった父子の気持ちがようやく打ち解け合えた瞬間だったのかもしれません。

 

2001年 ボノ41歳 父親が亡くなる

時は経ち…
ボノの父親Bob Hewsonは長年のガンとの闘病の末、75歳で亡くなります。
ボノは、U2のツアー中、ヨーロッパとダブリンの間を何度も往復し、臨終の日まで父に付き添っていました。

父親が最後に残した言葉は「fuck off」
意訳すると「帰れ、このクソったれ」
おそらく忙しいボノを気づかって「早く帰れ」という意味で言ったと思うのですが、言葉選びがね。最後まで相変わらずな父親だったみたいです(笑)

ボノは父親が死んで最初のイースターの朝、
Bob Hewsonをボノの父親にしてくれたことと、父親を通してボノに贈り物を与えてくれたことを神に感謝したそうです。

 

 

この記事の最初に聴いて頂いた『kite』という曲は、実はボノが亡き父に捧げた歌です。

母親の死をキッカケに不仲になった親子。
二人とも愛情深い人でお互いのことを愛していたのですが、価値観が違います。
だから理解しあうのに時間がかかったのかもしれません。
まったく友達にもなれないような二人が、親子として生まれたのです。
互いに正反対の相手を見て、多くのことを学んだのではないでしょうか。

私は父と息子のこの微妙な距離感や時間が、歌詞に込められているように感じます。

 

『kite』
作詞:Paul David Hewson(Bono)、David Evans(The Edge)

Something is about to give
I can feel it coming
I think I know what it means
I'm not afraid to die
I'm not afraid to live
And when I'm flat on my back
I hope to feel like I did

何かが伝えようとしている
それが近づいているのを感じる
それが何を意味するかわかっているつもりだ
死ぬことなんて恐くない
生きることなんて恐くない
そして、俺も背中を平らにする時にはそう思いたい
(≒俺も死ぬ時そう感じれたらいいな)

'Cause hardness, it sets in
You need some protection
The thinner the skin

そう思えるようになるのは難しいから
あなたには薄くなっていく皮膚を守ってくれるものが必要だ
(≒弱っていく心身を支えてくれるものが必要だ)

I want you to know
That you don't need me anymore
I want you to know
You don't need anyone, anything at all

知って欲しい
あなたはもう俺が必要でないことを
(≒もう俺の介護がいらないということを)
知って欲しい
あなたは誰も、何も必要としないということを
(≒ベッドも薬もチューブも医者もいらないということを)

Who's to say where the wind will take you
Who's to know what it is will break you
I don't know which way the wind will blow
Who's to know when the time has come around
Don't wanna see you cry
I know that this is not goodbye

風があなたを連れ去る場所を、誰が教えてくれるんだ?
風があなたを消してしまうことを、誰が知っているんだ?
俺は風がどこへ吹いていくのかわからない
その時が巡ってくるのはいつなのか、誰が知っているんだ?
あなたが泣くのを見たくない
これがサヨナラじゃないってことはわかっている

In summer I can taste the salt in the sea
There's a kite blowing out of control on a breeze
I wonder what's gonna happen to you
You wonder what has happened to me

夏には海の味を感じられる
ほんのわずかな風にも吹き回される凧
俺はあなたに何が起こるのかわからない
あなたは自分に何が起こったのかと思うだろう

I'm a man, I'm not a child
A man who sees
The shadow behind your eyes

俺は男だ、子供じゃない
あなたの目の奥の影を見る男だ
(≒しっかりとあなたの死を見届けよう)

Who's to say where the wind will take you
Who's to know what it is will break you
I don't know where the wind will blow
Who's to know when the time has come around
Don't wanna see you cry
I know that this is not goodbye

風があなたを連れ去る場所を、誰が教えてくれるんだ?
風があなたを消してしまうことを、誰が知っているんだ?
俺は風がどこへ吹いていくのかわからない
その時が巡ってくるのはいつなのか、誰が知っているんだ?
あなたが泣くのを見たくない
これがサヨナラじゃないってことはわかっている

Did I waste it?
Not so much I couldn't taste it
Life should be fragrant
Roof top to the basement
The last of the rock stars
When hip hop drove the big cars
In the time when new media
Was the big idea
That was the big idea

無駄にしてしまったかな?
あまり味わえなかったかな?
屋根から地下室まで、人生は楽しむものだ
最後のロックスターたち
(≒ロックの時代は終わって)
ヒップホップがデカイ車に乗るとき
(≒ヒップホップが全盛の時代)
新しいメディアの時代
すごいアイデアだった
それは本当にすごいアイデアだった

 

 

 

父親が死ぬ悲しさはもう寂しさへ変わっていて、
ある日の思い出を懐かしむような気持ちも湧いてきて。

潔く別れを受け入れることができた息子の気持ちが感じられます。

闘病生活が長いと、家族の人はだんだんと覚悟が出来てくる、そういう気持ちでしょうか。

風に吹かれるままに飛ぶ凧のように、運命に逆らえない人間の儚さ、
そして、そんな運命を感じながら父親を見送る息子の気持ちが伝わってくる気がします。

 

 

 

 

『Sometimes You Can't Make It On Your Own』という曲もボノの父親に送ったものです。
この曲の歌詞についてはまた次回紹介したいと思います。

U2『Sometimes You Can't Make It On Your Own』 ボノの弔辞

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<U2 公式サイト>
ユニバーサルミュージックジャパン
U2オフィシャルサイト kite歌詞
U2 Facebook公式

<U2 非公式サイト>
wikipedia kite

<画像引用元>
U2.com
wikipedia
外務省

 

-歌詞の本当の意味